中世末上富田の城館跡 

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下屋敷 (坂本付城) 跡 

 下屋敷(坂本付城)跡は、龍松山城跡の対岸にそばだつ行者山(標高約270メートル)の北麓にみられる河岸段丘の一つ、下平野の舌状台地上(標高は46〜48メートル、川底との比高は17〜18メートル)にある。

 下屋敷は、領主山本氏の平常の居館で、その居館の規模は、『紀伊続風土記』を作成するにあたって、文化5年(1808)に提出した『風土記新撰ニ付御尋之品書上帳』に、

本丸    東西弐拾三間程 (約41.4メートル)
       南北四拾八間程 (約86.4メートル)
内堀    東長五拾八間程 (約104.4メートル)
         幅 四間程 (約7.2メートル)
         深サ三間程 (約5.4メートル)
       南長三拾八間程 (約68.4メートル) 
         幅   同断 (約7.2メートル)
         深サ 同断 (約5.4メートル)
       西長五拾八間程 (約104.4メートル) 
         幅   同断 (約7.2メートル)
         深サ 同断 (約5.4メートル)
外堀    東西九拾間程 (約162メートル)
         幅   五間程 (約9メートル)
         深サ 四間程 (約7.2メートル)

とある。

 また、『田上家旧記』(年代不詳)に、下屋敷要害 二重堀 外堀深一丈五尺、内堀深二丈有、外堀之前ニ風呂屋有。常々之居間、東西十八間、南北二十三間、左右ニ歩行中、小姓防室有、門長屋東西二十間、横四間 角槽西東ニ有 北ハ大河 三方は堀有、東西三十間、南北三十八間之庭ニ植込之木有 堀横幅二間、此間橋之木、水渾有、外堀迄道は草原、外堀東西へ六十間、横幅五間、風呂屋橋懸

 と、前記の『風土記新撰ニ付御尋之品書上帳』と、各部分の間数に相異もみられるが将来発掘調査によって確認されよう。ところで中世末戦国時代熊野衆を代表する国衆山本氏の居館は貴重で調査保存する必要があろう。

下屋敷 (坂本付城) 跡