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●龍松山城と山本氏 −秀吉の紀伊平定−@ |
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南北朝時代から戦国時代にかけて、一瀬(市ノ瀬)の龍松山城(龍松城)を本拠に活動したのが山本氏である。山本氏がいつ頃から龍松山城に居を構えていたのかは、よく分からないが、鎌倉時代の終わりに、護良新王の討幕にかかわって歴史の舞台に登場し、戦国時代に羽柴秀吉が紀伊を平定するまで活動している。 山本氏を軍記物(中世に頻発した戦争を題材にした文学作品)など、後世作成された資料では「判官」と記している。これはなぜであろうか。たとえば、延元二年(一三三七)三月日付の「小山文書」では、山本氏を「山本新左衛門尉」と記し、「花営三代記」応永三十二年(一四二五)二月二十二日条では、山本氏を「山本中務丞」と記している。この「尉」や「丞」が律令管制の「判官」に相当するので、山本氏を「判官」と記したのであろう。 |
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| 南北朝の分立と山本氏 | ||||
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