中世末上富田の城館跡 

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 国陣山くにじんやま城跡

 国陣山城跡は、富田川中流の右岸、岩田の国陣山(標高126.7メートル)の頂部にある。現在南麓に特別養護老人ホーム愛の園があり目標となる。また山腹には町営上水道のタンクがある。この山岳は岡・上岩田の境界である、城跡の東南は富田川の河原に接する。

 領主山本氏の本城龍松山城の西南、約1.5キロにあり、山本主膳正直接支配の出城、「山本主膳(正)出張之城と申伝候」とある小規模の城で、国陣山砦ともいわれる。おそらく天正9年に起きたお家騒動前後に設けられものと推定される。
 城跡の規模は、「東西二十八間、南北三十四間」(『紀伊続風土記』)で、曲輪は単郭で粗雑なつくり、しかし北・南・西の三方に濠がみられるほか、西南山腹に堅堀一条が残る。

 国陣山城跡
国陣山城跡

 城主は、市ノ瀬を本拠地とした山本主膳正康忠の一族(二郎筋)で家老の山本兵部之介で、岩田村、岡村、市ノ瀬村の一部を知行したようで、龍松山城の第一外郭地(龍松山城から2キロから4キロ以内)を守護したといえる。しかし伝承によると城主山本兵部之介は天正9年のお家騒動で(那賀郡粉河村へ更に中山村へ)退去したという。そのためか、主膳正の盛期のときに田熊の城へ歩行で向い、さらに鷹之平で大筒鉄砲や弓矢の稽古をしたことが『田上家旧記』にみられる。『紀伊続風土記』に「釣(瓶)卸砦跡」とあるように城主なき跡は砦となったと思われる。

 城跡の規模は、「本城、長九間、横六間。二ノ段、長十八間、横十五間。三ノ段、長八間、横三間。麓、長五十八間、横四十七間。高さ二十五間」(「文化五年辰六月風土記新撰ニ附御尋之品書上帳」)とある。