中世末上富田の城館跡 

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 蛇喰じゃばみが城跡
 蛇喰城跡
 蛇喰城跡

 蛇喰城跡は、町内の南端部、富田川に合流する生馬川南に連続す山岳の中で、ひときわ美しい円丘の山容をしているじょうノ森山(標高371メートル)の頂部にある。南隣の白浜町保呂との境目で、町内では地形状では最高の位置にある。城跡からは東南に日置川の中流が、西方に富田川河口から半島状の白浜や田辺湾が眺望できるほか、遠く切目崎や日ノ御崎も遠望できる。

 蛇喰城の築城は16世紀初頭、境目警護のため、山本氏によったと伝えられるが、戦国時代は境目の城と共に、高所にあるために伝之の城(烽火ほうか法螺貝ほらがいなどで情報伝達を目的とした城)であった。

 城跡の規模は「本城 長四十五間程(東西約81メートル)横弐拾間程(南北約36メートル)」で、現在も土塁と石垣の一部がみられる。

 当城の城主についての伝承に、諸説があり「山本式部」とする記録に『寛文7年(1667)田辺古城跡并名所古跡』や『寛延3年(1675)三栖新屋文書』があり、「山本兵部」とする記録に『文化5年(1808)風土記新撰ニ附御尋之品書上帳』『紀伊続風土記』天保10年(1839)がある。「山本権之丞」とする記録に『興禅寺古文書』などになっているが、時代によって異なるが戦国時代は「山本権之丞」であったのであろう。