上富田の石塔  (その1) 

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 板 碑

 板碑とは扁平へんぺいな石の卒都婆で、表面に仏像・種子・仏名を刻し、下に表供具・供養造立の願銘・年号・氏名を刻む。普通は幅15〜20センチ、高さ60〜90センチであるが、大きなものとなると幅60センチ、高さ2メートルもあって、上部を三角形にし、その下に区画する溝を彫っている。関東地方に多く、秩父青石(緑泥片岩りょくでいへんがん)を用い、追善や逆修のために寺院境内・墓地・街道の四辻などに建てられる。

 板碑には年代差や地方差がいちじるしく、構造形式がきわめて複雑であるため、細分類がなされている。

 (A)構造による分類によると、
  1.本格的板碑 関東や四国の緑泥片岩で造成された本格板碑と、これに準じるもの。
  2.碑伝ひで形板碑 修験道の碑伝を祖形そけいとするものと、これに準じるもの。
  3.自然石板碑  自然石のまま板石に切ったものや、その一面をけずったもの。
  4.多頭板碑 先端の山形を2つ並べたものを双頭そうとう板碑、3つ並べたものを三頭板碑といい、4つ以上のものはない
  5.五輪卒都婆形板碑 板石の両側面を切り込み、五輪卒塔婆形に造られたもの。
 (B)内容による分類によると、
  1.像容板碑 本尊を像容で配したもの。
  2.種子板碑

種子の陰刻に従って呼ばれる。

(例) 弥陀三尊種子板碑、地蔵一尊種子板碑・金剛界大日一尊種子板碑

  3.曼荼羅真言板碑 (例) 梵字法華曼荼羅板碑・梵字光明真言板碑
  4.名号題目板碑 名号板碑、題目板碑と呼ばれる。
  5.搭形板碑

搭形に従って呼ばれる。

(例) 宝塔板碑、宝篋印塔板碑、五輪卒塔婆板碑

 今日以上のように(A)(B)の2種類と、細かく5つに分類されている。 

 町内の板碑については『上富田文化財第10集』谷本圭司氏によって「上富田町の板碑」として報告されているが、町内の板碑はごく少なく在銘のたるものはただ普大寺墓地板碑一基である。

@ 普大寺墓地板碑   岡

(竜松山城中腹墓地B板碑) 
 (竜松山城中腹墓地B板碑)

普大寺墓地板碑は、硬砂岩製の大形板碑で町指定文化財。

 総高243.5センチ(地上の高さ約186センチ)、幅32センチ、厚さ上部約15センチ、下部約13センチ、身部は板状であるが根元はかまぼこ型の断面となっている。頂部は三角形で鋭く舟形光背型。身部上部に二条線を巡らし、ついで幅広い額部をつくり出している。上半中央に一字金輪の種子「ボロン」を刻み、つづいて「奉誦妙典一千部及三十三年逆修」、その右に「為母儀匡貞自五日」、左に「善根法界普利」、右下から中央下2行に「応永丙子」「十一月五日」と彫出し、また、「橘忠實」と左下に刻んでいる。

A 竜松山城中腹墓地(山本氏一族の墓地)板碑   市ノ瀬

竜松山城中腹墓地板碑は4基の小形板碑で

(A)砂岩製、現存の高さ35センチ(中程で折損し上半部分)、幅約16センチ、厚さ5.5センチ、頂部三角形で二条線と額部をつくり出し、その下は月輪内に虚空蔵の種子「タラーク」を刻し、銘文は大部分剥離はくりのためか不明。虚空蔵種子板牌といえる。

(B)砂岩製、高さ52.5センチ、幅18.5センチ、厚さ約5.5センチ、頂部三角形は鋭く、上部二条線と額部をつくりだし、身部上半の月輪内に虚空蔵の種子「タラーク」を彫出している、銘文は不明。これも内容的分類によると虚空蔵一尊種子板碑といえる。

(C)砂岩製、現存の高さ41センチ(中程で折損し上半部分)、幅19センチ、厚さ約7センチ、月輪は一部剥離しているが、虚空蔵の種子「タラーク」を刻し、銘文は不明。これも虚空蔵一尊種子板碑である。

(D)砂岩製、完存、高さ35センチ、幅19.5センチ、厚さ約4センチ、光背型で身部全体に薄肉彫の五輪塔を刻む。しかし各輪に刻む種子はなく、火輪の隅を突起的に表現するなど終焉しゅうえん期の粧をみせている。内容的分類から搭形板碑に属する五輪卒塔婆板碑である。もとの位置は一乗寺墓地内であるという。

B 清水きよみず観音堂境内板碑   市ノ瀬

 清水観音堂境内板碑は、小形双子型の板碑

(A)砂岩製、完存、高さ68.5センチ、幅17センチ、厚さ約3.5センチ、頂部は三角形につくられているが、二条線と額部を一緒に表現したようなつくりで、終焉期の粧をみせている。身部上半に蓮座上に月輪を刻し、その月輪内に大日如来の種子「バン」を刻すほか銘文はない。

(B)砂岩製、現存の高さ(頂部三角部を欠く)55センチ、幅17センチ、厚さ約3.5センチ、蓮座上の月輪内に大日如来の種子「バン」を刻し、ほかの銘文はない。前者の板碑同形で双子型のものである。内容的分類から両者とも大日如来一尊種子板碑である。もとの位置は、清水谷奥の観音山々腹、観音堂跡であるといわれる。

C 興禅寺境内板碑   市ノ瀬

 (祇園山共同墓地板碑)
 (祇園山共同墓地板碑)

 興禅寺境内板碑は二基の小形板碑上部残欠。

(A)砂岩製。現存の高さ(下半部折損)36センチ、幅18.5センチ、厚さ約15センチ、頂部三角形で、二条線と額部を一緒にしたつくりで、終焉期の粧をみせる。額部の下に弥陀の種子「キリーク」を刻しているほか銘文はない。

(B)砂岩製。現存の高さ(下半部欠損)34.5センチ、幅17センチ、厚さ約8センチ、前者と同様のつくりで二条線と額部を一緒にしたつくり、額部の下に月輪内に弥陀種子の「キリーク」を表刻、銘文はない。両者とも内容的分類として弥陀一尊種子板碑である。原位置はこの付近であろうという。

D 稗田薬師堂境内板碑   生馬

 稗田薬師堂境内板碑は、境内東端石祠内にある小形板碑。砂岩製。高さ37センチ、幅19センチ、厚さ約6センチ、頂部三角形であるが上部二条線をめぐらすだけのつくり(額部はない)上半に弥陀の種子「キリーク」を刻し、他に銘文はない。内容的分類からは弥陀一尊種子板碑であるが終焉期のもの、原位置は赤土あかじ谷の平であるという。

E 根皆田銭岩ねかいだぜにいわ地蔵板碑   市ノ瀬

根皆田銭岩地蔵板碑は、地蔵祠内にある二基の小形板碑。双子型。

(A)砂岩製。完存、高さ57センチ、幅19センチ、厚さ約6.5センチ、頂部三角形で、身部上部に二条線をめぐらし額部をつくり出す。上半部の月輪内に虚空蔵の種子「タラーク」を刻し、他に銘文はない。

(B)砂岩製、高さ(中程で折れ接続するが根部折損)49センチ、幅17センチ、厚さ約5.5センチ、前者(A)と同様のつくりで二条線をめぐらし額部を彫出す。また、月輪内に虚空蔵の種子「タラーク」を刻し、他に銘文はない。両基とも虚空蔵一尊種子板碑で、この原位置は裏山であるという。

F祇園山共同墓地板碑   上田熊

 祇園山共同墓地板碑は、五輪塔や一石五輪塔と並ぶ。砂岩製、完存、高さ48センチ、幅26センチ、厚さ約9センチ、長橢円形の自然石の表面に、薄肉彫りの五輪塔を刻む、紀南地方に多くみられる五輪塔図案化−空・風輪を大きく表し、火輪の隅飾突起的に表す−終焉期の表現と異なり、均衡がとられた五輪塔で、各輪に上から「キャ・カ・ラ・バ・ア」と梵字を明確に刻む、他に銘文はない、五輪卒塔婆板碑の代表的なものである。