上富田の石塔  (その1) 

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 一石五輪塔

 一石彫成の五輪搭のうち、とくに室町時代のものに限り一石五輪塔とよび、俗に棒状五輪塔と呼ばれ、五輪搭の亜形式で五輪塔と区別される。総高は多くは4・50センチで、6・70センチのものもあるが、1メートルを超えるものはない。つまり昔は、1尺5寸(約45センチ)、2尺(約60センチ)、2尺5寸(約75センチ)の3種に限られていると考えられている。そのため、産石地で整形され、既製品として搬出されたものと考えられている。町内では大阪の泉南淡輪付近産の和泉砂岩製が分布しているが、地元産の砂岩も混在している。今日一石五輪塔は三種に細分類される。

1.本格式  基礎の背が低く、高さに対する幅の比率が1.00未満のもの。

2.細長式  基礎の背が高く、不安定なもの。

3.埋込式  基礎下端の根部を荒叩きとし、地中に埋めて建てるもの。

 町内の寺院・堂庵・共同墓地など14・5ヵ所、約150基を調査した結果、在銘のものは七基、そのうち紀年銘は五基にすぎない。

 紀年銘のある一石五輪塔を紹介すると、

 (三宝寺墓地一石五輪)
(三宝寺墓地一石五輪)
 (普大寺墓地一石五輪)
(普大寺墓地一石五輪)
 (成道寺一石五輪塔)
(成道寺一石五輪塔)
1.三宝寺無縁墓地一石五輪塔   岩田

 三宝寺本堂に隣接する無縁墓地にある一石五輪塔で、和泉砂岩。高さ37センチ、各輪に五大の梵字が陰刻している。地輪は高さ17センチ、幅11センチ、その表面に、

妙応禅尼

(梵字) ア

寛正二

巳二月
  六日

 と法名と歿年月日が刻まれている。亡き婦人の供養に造立されたものであろう。寛正2年は西暦1461年で室町時代中期である

 

 2.普大寺無縁墓地一石五輪塔   岡

 普大寺本堂下段の無縁墓地内にある。和泉砂岩。高さ41センチ、幅12.5センチ完存の一石五輪塔で、その各輪に五大の梵字を入れている。その地輪は高さ13.5センチ、厚さ12センチの表面に、

永禄九年

(梵字) ア

  道春
二月八日

 と陰刻している。永禄9年は西暦1566年で室町時代末期である。

 

 3.成道寺上山家墓地一石五輪塔   下鮎川

 成道寺墓地内の上山家墓所前にある三基の一石五輪塔である。全て完存し、各輪に五大の種子を漢字で陰刻している。紀年銘の古い順に記述すると、

 A.和泉砂岩。高さ47センチ、幅11.5センチ、地輪は高さ22センチで、その表面に、

寛永八年

(地)   

浄圓
十月三日

 と陰刻している。

 B.和泉砂岩。高さ44センチ、幅11.5センチ、地輪は高さ20センチで、その表面に、

寛永九年

(地)   

妙全
九月廿四日

 と陰刻している。

 C.和泉砂岩。高さ47センチ、幅11センチ、地輪は高さ21センチで、その表面に、

慶安五年

(地)   

高山道雲
十一月廿九日
  と陰刻している。慶安5年は承応元年(改元は9月18日)である。紀年銘の西暦は、

 寛永8年は1631年、寛永9年は1632年、慶安5年は1652年で三基とも江戸時代前期である。