上富田町域内の涅槃図ねはんず 

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 まえがき
 紙本着色釈迦涅槃図(興禅寺所蔵)

紙本着色釈迦涅槃図(興禅寺所蔵)

−寛文12年作−(町指定文化財)

 涅槃図とは、宗派の別なく2月15日の涅槃(釈迦入滅の日の法令)の必需品で、町域内の各寺院にも所蔵され、この日、須弥壇しゅみだん(本尊を安置する台座)にかけ、涅槃経・遺教経などを諷誦ふじょして報恩の意を表すものである。この絵図は釈迦(釈尊)の入滅の場に集まった菩薩ぼさつ羅漢らかん・信徒たちが、悲歎ひたんにくれている情景を描いた仏画である。

 仏画は仏像を拝見することは難しい、というのは、普通は巻いて寺の倉の中に収められて、容易に見ることができない、しかし、この涅槃図の仏画は、前記したように毎年2月15日の涅槃会だけに、どの寺院でも公開する、4月8日の誕生仏とともに衆知のもので、古くより庶民の生活にとけこんだ仏教美術品の一つであったのである。

 涅槃図の絵画のなかで大変興味をひかれるところは、下辺に描れた動物画で、動物図鑑を見るようで、ほぼ自然の状態に近いと思われる生態で描かれている。おのおのの涅槃図により多少の相違があるが、大般涅槃経(北りゃう曇無識どんむしん(せん)訳した)の巻第一寿命品第一に、釈迦がまさに涅槃にはいろうとするとき、参集した52類の鳥獣がいたことを明記されていて、室町時代からはこの経説にしたがって、身近にいる鳥獣を豊富に描いて、平均して40類ぐらいといわれている。

 涅槃図の現存最古は、金剛峯寺蔵(応徳3年−1086)で、縦267センチ、横271センチもある大作であるうえ、最優秀品として名高い。この系統を継承した鎌倉前期までの作品は、宝台(寝台)上に横たわる釈迦を中心に大きくあらわす特徴をもち、画面は横長か正方形に近い形になる場合が多く、唐時代の涅槃図の影響を受けたものを第一形式の涅槃図といわれている。これに対し第二形式の涅槃図といわれているものは、縦長の画面が多く、また下辺に多くの動物が描かれるようになる。この第二形式の涅槃図は宋元画の影響とともに、禅宗様建築の流行により仏堂内部の空間構成(天井と床をはらない高い空間)により縦長画面となったようである。また宝台上に横たわる釈迦も、手枕で右脇を下にしひざをまげて、両脚を重ねる例が多くなり、釈迦を比較的小さく、周囲の衆を多くし、画面を賑やかに、大げさに地に伏して慟哭するものや悲歎のあまり気絶するものまで描かれている。