●南方熊楠と上富田町 

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 朝来村礼拝塚の濫伐  

 朝来村には由緒正しき神社四、五あり。なかんづく諏訪すわ神社の如きは界隈かいわいきっての軍神にして、これに付属せる種々の伝説、祭式あり。田辺へんに現存する楠本氏を名乗る人々はみなむかしこの神にいて信州の諏訪から移りし者と思う。この地の諸社も由来古く、古へは近郷からその祭典を見に行きしものなり。

 しかるに例の基本金で責め立てられたる結果、これらの諸社ことごとく伐樹濫滅ばつじゅらんめつされ、その諸神社は、一まとめに束ねて所もあろうにこの村の東隅なる岩崎に、在来の不動尊かなにか祭れる庵寺へ押しめ、手製で「岩崎神社」を称し、そのまま放置し、今に何たる祭礼を催すこともなく、肝心の神主は神社がドウなろうが一向構わず。かかる次第で神社合祀のため朝来村はまったく無神の状体にあり。

ぬか塚

ぬか塚

たのむところは「礼拝塚ぬかづか神社」の跡のみ厳然として近頃まで存在したから、せめてこれへ合祀諸社を迎え奉ることもやと思いいしところ、思いきや昨今この神社すら滅却に着手し、鬱蒼うっそうたる大樹小樹ことごとく伐採中なりと聞く。乱暴狼藉ろうぜきもほどこそあれ。

 この「礼拝塚」については面白い伝説があるが、それは他日に譲り、その一つを記さんに、古へ熊野権現を勧請かんじょうし、遠く三山に詣でし人に福を与うという。むかし、早朝この社に詣でし人あり。ますが樹の枝に懸りあるを見出し、神賜しんしとして持帰り、その枡を用いて身代を起せしという伝説もあり。近年まで近郷より参詣するに第一着を競いしほどなり。これらのことは何も知らぬ輩は一笑に付すべきも、考古学上もっとも重要のことなり。(中略)ついでにいう。「ぬか塚」にはコウザキシダとて薩摩さつま辺にしかなき珍しき羊歯しだあり。本県には那智ほか一二か所にあるが、いたって珍しきものなり。これも濫滅のため滅亡を見るは返す返すも惜し。

(明治四十四年八月二十七日「牟婁新報」)