●南方熊楠と上富田町 

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 オカフジの命名 
 
 オカフジ

 この田中神社には珍しいオカフジが繁茂している。県指定の天然記念物であるが、この命名の由来が当地の植物研究家樫山嘉一宛の熊楠の書簡に述べられている。

  昭和六年十月十八日午前六時四十分

  樫山嘉一様            南方熊楠

 拝啓 過日御将来しょうらい紫藤ふじは、小生自ら色々取調べたるところ、間違いもなくキフジ、オカフジと本草図譜ほんぞうずふ巻二十九に出おるものに候。ちょうど大字おおあざ岡に産するゆえ、オカフジという名がよろしきように思うも、牧野博士(注・牧野富太郎、植物研究家)は、これにヤマフジと名を付けあり。小生はすでに古くよりキフジ、またオカフジなる名称があるに、昨今ヤマフジと命名するはいかがと存じ候。(こればかりが、どこの山にも生ずるにあらず。よそは知らず、紀州には山に生ずるフジは多くは例の穂が長きものなればなり)。このこと一度牧野博士へ問合わすべきも、とにかく小生はオカフジという古い名がよいと存じ候。 

 
学名 Kraunhia brachybotrys'  尋常の穂の長いのは Krunhia floribundaに候。

(中略)右のオカフジは今のように品が少なくては、しゃべりちらすとすぐ取り尽されるから、当分黙しおり、貴地方へその種子を播殖はしょくさせられたく候。

 上記の手紙から推測出来るのは、昭和六年の夏、田中神社の森に咲いたフジが、平生よく見かけるものより花が短いことに気づいた樫山氏が、何というフジなのかと実物を折りとって熊楠宅へ持ち込んだ。熊楠が調べたところ『本草図譜』 − 岩崎常正(灌園)著・文政年中手稿本 − に、キフジ、オカフジとしているのと同じものである。ところが牧野氏の図鑑ではこれにヤマフジと新しい名をつけている。古い書物にすでに名前があるのに新しく名前をつけるのはどうかと思う。とにかく、私は古い名のオカフジを推したい。ちょうど自生地も「岡」であるからオカフジが似つかわしい。ということで、南方先生命名の「オカフジ」が誕生したのである。

 このほか岩田出身の宇井縫蔵にも同じ時期に次のような手紙を出している。

  昭和六年十月二十九日

  宇井縫蔵様       南方熊楠

 貴下の紀州植物編に、フジの一種に本草図譜にキフジまたオカフジと名づけて図せるもの出でおらず。樫山氏前年岩田村岡の田中神社跡地に数本あるを見出し持来り候につき、注意して花から幼葉、芽から熟せる子実までたびたび持来りもらい調べしに、牧野、田中二氏によれば『日本植物志』ヤマフジとせるものに当り候。花の穂が常の藤よりはなはだ短く、花大きく当地方にてフジマメの一種、板と名づくるものに似おり、美なるものなり。小生は日高郡の藤滝その他紀南諸山中にてフジを多く見たるも、この種はこれが初見にござ候。貴下はかつて見られたることありや。しかしてこの物すでに古くキフジ、またオカフジと名づけられ、発表されあるに、牧野氏は別にヤマフジの名をつけあり。山フジとは人をあやまりやすきことばにて、山中にあるフジは過半かはんこの穂短かく花大なるものなりという誤想を生ぜしむことと存じ候。(後略)