●上富田町の民具となりわい 

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 5.富田川中流域の川漁と漁具

 富田川はダムが無いため、清流が残り、アユ漁シーズンには多くの釣り愛好家が訪れる。富田川中流域の農村では古くから様々な方法で川魚やカニ・エビなどの漁を行っており、郷土資料館にもそれに伴う民具が多数見られる。

 川漁の聞書きをすると、まず話題にのぼるのは春・梅雨・夏期のウナギ漁である。富田川のウナギ漁は、筌(うけ)漁・釣り漁・突き漁に分かれる。

 まず、ウナギの筌は広くモドリと呼ばれるもので、竹の簾を丸めたような割竹の筒か竹筒に、魚が一度中に入ったら出られない構造のカエリ(返り)と呼ぶ部品を装着したものである。中には小型のアユ・ハヤ・ミミズなどの餌を入れて夕方に川に沈めておき、夜明けに上げると、うまくいけばウナギが中に捕らえられる。この設置場所は、それぞれの人の経験や勘に頼る部分が大きく、川漁を生業とする人は一度に数十本の筌を仕掛けた。また、竹の香りを抜くために、火であぶって油抜きしたり、泥につけておいたりするなどの処置をする人もある。捕れたウナギは、ボッツリと呼ぶ腰魚籠に入れる。ボッツリへウナギを入れるときに使うのがウナギ挟(はさみ)で、ウナギの頭をつかんで尾からボッツリへ素早く入れた。

 一方ウナギの釣り漁は、流し釣りで複数の針を付けた延縄を石などで固定し、ハゼやミミズを付けて夕方に仕掛けておくと、翌朝にはウナギが引っかかっているという。また、大きめの釣り糸を装着した釣り糸にアユやミミズなどの餌を引っかけて、糸を節を抜いた笹竹の竿に通す釣り具によるアナヅリ(穴釣り)も行われた。岩の隙間などのウナギの隠れ家にこれを差し入れ、竿だけを抜くと針にウナギがかかり、針が外れないように引き出すのである。現在は禁止であるが、かつてこのアナヅリには箱眼鏡を使用した。箱眼鏡は、木箱の底部分がガラスになっており、目を蝋やコーキング材などで水漏れ処理したものである。

 ウナギと同様に川漁の主要な対象となるのはアユである。アユ漁は、釣り魚・突き漁・網による掬(すく)い漁・梁漁などがある。このうち釣り漁は、現在の主要なアユ釣り漁法である開漁期の友釣りが主で、鑑札を必要としている。アユの突き漁は、ヒシと呼ばれる簎(やす)を用いた。尖った先端部分は三本のものと四本のものがあった。現在は禁止であるが、かつては箱眼鏡で水中をのぞきながらヒシで突いたが、これも個人によって勘やコツが異なり、技術的な差による収量の違いが激しい漁法であった。

 アユの網漁には、玉網による掬いと、投網があった。まず、掬い漁法には二種類がある。一つは、叩き棒によって、水面を叩いてアユを脅し、逃げる方向に玉網を刺し入れ、アユを掬い上げるというものである。この叩き棒は、枝のついた笹を用い、長さは二メートルほどが平均である。この掬い漁は、より確実にアユがとれるように、建網で川を仕切り、ある程度逃げにくい環境を作り出して行う場合が多かった。これに加え、もう一つの掬い漁法は、主として台風などの出水時に、川岸に非難してくる小魚や川エビなどを掬い取る方法で、ニゴダマなどと呼ばれた。

 次に投網は、陶錘や鉛錘のついた網を、魚群に向かって投げて被せる漁法で、投げるタイミングや網が沈むまでのタイムラグ、アユの動きを先読みした投げ場所など、様々なコツがあり、これも技術的な差による収量の違いが激しい漁法である。

 アユの梁漁は、秋の落ちアユを狙って、アユの通る特定の場所に仕掛けるものである。梁は、ソデと呼ばれる石や竹の簀でさえぎられた道をアユが辿っていくと、最終的にクチとよばれる場所に囲まれ、アユがとれるというものである。こうしてとったアユは、塩焼きにして食べるほか、燻製にして保存食にもした。

 ウナギ・アユと並んで、富田川中流域で盛んなのは、ズガニと呼ばれるモクズガニの筌漁である。一般にエサは使わず、川の浅瀬のカニの通り道を読み、簀を立てて道をつけたり、流れに沿って誘導するように砂礫を盛ったりして、筌にミクズガニを誘き入れるのが難しく、得意な人は重さで筌を持ち上げられないほどのカニをとるのだという。

 こうした川漁の伝統も、砂利採取による河床の荒廃や、水環境および護岸環境の変化によって、川の生き物が激減し、さらに生活様式や物資流通の変化などから、川漁に携わる人も少なくなっている。漁の技術を知る話者も、今後少なくなっていくだろう。漁具とその使用法に関する調査は、農具に比べて緊急度が高いと言えよう。