●上富田町の年中行事  

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 ノンキ  
 ノンキ
 ノンキ

 旧三月三日は桃の節句で雛節句ともいう。新暦の四月三日にかわり、この日雛人形を飾ったりして、女の子の誕生や成長を祝うが、家々では青(草餅)と白の菱餅をつくり、桃の花を挿した白酒を添えたりして、神仏に供え、家族もこれを食べる。

 この節句の翌日あたり、家族が連れ立って節句の餅や弁当を持ち、野山や海辺へ遊びに行く風習があった。これをノンキと言い、朝来ではホケットさん、市ノ瀬では行者山へ登ったりしたし、上富田でも海へ磯遊びに出かける人たちもいた。

 『朝来村郷土誌』には、大正初年ごろのことであろうが、津呂塗屋の西山の一大岩上に石塔があって、村民は「ほけっとう」と称し、山上は一帯の見晴らしがすばらしいとし、「風景絶佳なり、されば村民は旧三月節句後の遊宴場として、当日晴天ならば毎年非常に賑わう」と記している。

 一方、田辺の幕末の様子を伝える湯川退軒の『田辺沿革小史記事本末』には、三月三日の節句に関して、「某翌日は後縁日と称し、酒を携て海浜に行楽する者多し」という記述がある。後縁日は「ごえんにち」と読み、あとのまつりの日の意であろうが、節句のあとの祝い楽しむ日になっていた。この田辺では明治以後も天神崎などへよく出かけ、これをノンキと言っていた。

 こうした桃節句のあとの山遊び磯遊びは、全国いたるところのあちこちで行われていたと、柳田国男の著書などにある。しかし、これをノンキというのは、上富田や旧田辺を中心にした一帯、日置川付近までのようである。『口熊野の方言』(楠本静哉著)では、ノンキの語源は「野行き」だとしているが、文字通り日頃の苦労を忘れて、一日のんびり過ごして楽しむという意味かもしれない。

 熊野の山村の近露などでは、雛節句の翌日家族が連れ立って、節句の餅などを持って山へ行くが、遊楽するのではなく、松煙焚きが削ったり倒したりした松から、灯火用のアカシマツにする小松明を採るのに精を出した。そんな所ではノンキと呼んだりすることはなかった。