●上富田町の年中行事  

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 シダキの口明け

 昭和五十三年に行われた緊急民俗文化財調査の市ノ瀬の報告書のなかに、明治三十三年生まれの老人から聞いたという少しくわしい年中行事の記録があり、旧六月二日のこととしてシダキの口明けが挙がっている。シダキについては堆肥用の草柴のことだという注記がある。

 この調査書によれば、地域の田植は手伝い合って行われるが、かんばつ等の特別の事情がない限り五月中に終り、六月一日は田植休みで、家々で御馳走を作ったりして休んだ。その一方で、翌日がシダキの口明けなので、鎌をとぎ、山行きの装束の用意をし、縄やチョンガシオコの準備をした。チョンガシオコはサカキの木で作り、両端をとがらしたオコ(担い棒)である。

シダキの口明け(市ノ瀬清水谷) 
シダキの口明け(市ノ瀬清水谷) 

 シダキは地下山(共有林)で刈るのであって、口明けを待ちかねて、当日は朝暗いうちから山へ行き、われ先にとシダキを刈った。刈りとったシダキは縄で束ねて、前後の二つにオコの両端を突きさして、肩で担ってくるのである。おそらくこれを何回か繰り返したのであろう。

 こうして刈り取ってきたシダキは、そのまま田へ入れることもあったが、堆肥や厩肥にしてから田への肥料として使った。田下駄という大きな下駄で踏み込んだりした。

 このシダキ刈りは、市ノ瀬に限らず上富田の各地区や富田地方、旧田辺の周辺などでも行われ、シダキということばが存在するが、他の地方では一般にカシキと言い、中辺路なども同じであった。日本各地にはカリシキ(刈敷)という語があり、カシキはそれからきているとみられている。シダキの語源は不明であるが、シダ(羊歯)や幼木の意か、シタシキ(下敷)が縮まってシダキとなったか、そのいずれであろう。