●上富田町の年中行事  

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 亥の子
亥の子 
 亥の子

 亥の子は収穫祭のような意味もあり、農民には親しみのある行事であった。十月の初めか二番目の亥の日に、小豆のあんを塗った餅をつくって亥の神をまつり、子供たちは家々を回り、縄をつけた藁つとや石で地を打って祝い歌をうたい、餅を貰ったりした。

 亥の子は西日本に共通した行事で、どこでも同じようなことが行われたが、東日本の方にはこの風習がなく、十日夜(とおかんや)と称する十月十日の収穫祭が亥の子に相当するものだと言われている。

 この地方では、秋の亥の子だけでなく、春の亥の子もあり、二月の初亥の日に亥の神が作物をつくりに出かけるのだといい、おはぎやあんころ餅を十二個(閏年には十三個)つくって、一升ますに入れ、神酒を供えて亥の神をまつった。 
 秋の亥の子は、作物をつくりに出かけた亥の神の帰ってくる日だといって、新米で餅をつき、あんこをまぶしたものを十二個(閏年なら十三個)一升ますに入れ、それに大根なますや神酒を添え、箕(み)の上に盛って、土間で臼の上に載せたり、倉の中で俵の前に供えたりした。

 以前は子供たちが組をつくった上で、藁つとや石に縄をつけておき、家々を回って地づきをして、餅やみかんを貰った。地づきをする時、町内のどの地区でもめでたい歌をうたったが、よく歌われたのは次の歌である。

   亥の子餅何でつく、石でつかんで杵でつく

   大黒さんという神さんは  一に俵ふんまえて  二ににっこり笑うて  三に酒つくって 

   四つ世の中よいように  五つ出雲の若えびす  六つ無病息災に  七つ何事ないように 

   八つ屋敷を広めて  九つ小倉を建て並べ  十でとっくり納った

と声高く唱えた。この一から十までの歌は、多少の文句のちがいがあるにしろ、大正のころまで田辺の周辺一帯で歌われたもので、少し離れたところには無いのをみると、比較的新しい歌かと思われる。