●富田川に架かる上富田町の橋  

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潜水橋(畑山橋)

富田川右岸からみた潜水橋(平成20年)

富田川右岸からみた潜水橋(平成20年)

 明治初年の『市之瀬村誌』に富田川にかかるあざ「下り渡」の項に「里道 水深一尺余広一町四〇間歩渡なり」とあって、この地が渡河点であったことがわかる。昭和三十六年当時の町長山本万米氏が四国の四万十川の視察で学んだ潜水橋から畑山橋架設に応用し、リーダー性を発揮して実現したといわれている。木造の板橋であったようだが、最初からコンクリート橋だったという話もある。橋桁がコンクリートであったという意味かも知れない。昭和四十年には岩田村財産区は畑山農道橋復旧分担金として、翌四十一年も負担金を財産区から出している。

 潜水橋は、常水時であれば恐さはないが、水面までの高さが四.五m、長さ一七四mもあり、橋幅は狭くてわずか一.五mしかなく、しかも欄干がないので高水の時には渡りきるのに足のすくむ思いをするのではないかと思う。たまたま通りがかった住民に聞くと、橋の上近くまで水が上がり、風が強く吹けば、恐くて渡ることが出来ないという。このように勇気のいる潜水橋ではあるが、地域住民にとっては大変貴重なものだというコメントも忘れてはなかった。単車がさっそうと渡ってきたが、それは高齢者であった。