●富田川の魚  

      トップ> 上富田町文化財教室シリーズ


一部「遡上魚に与えるえん堤の影響」

 調査時期は1993年4月から9月にかけてであり、調査場所は富田川本流である。両側回遊魚と淡水魚の各魚種について述べる。

 遡上するボウズハゼにおけるえん堤の影響について述べる。1993年7月24日に遡上するボウズハゼの若魚の先頭がDわらびお橋付近にいて、B生馬橋付近では多数のボウズハゼの若魚がいる。20日後の8月13日には@河口から25.1km上流のE栗栖川に遡上するボウズハゼの若魚が到達している。38日後には@河口から37.9km上流のH上福定えん堤の下までボウズハゼの若魚が到達してる。この5回の調査の間、I兵生には1度もボウズハゼが見つからない。その後、9月に3回の調査をH上福定えん堤より上流で行うが、ボウズハゼに出会うことがない。

 また、9月上旬から10月中旬にかけて毎週1回ずつH上福定えん堤の壁面や魚道(全長110m)を注意深く観察するが、ボウズハゼの姿を1度も見ることがない。一方H上福定えん堤の川下の早瀬にはボウズハゼの若魚、成魚がかなり多数生息している。

 ボウズハゼの遡上をまとめる。ボウズハゼはA十九渕の下手えん堤(高さ2m)と上手のえん堤(高さ1m)を楽に越え、@河口から30km上流にあるF野々尻のえん堤(高さ1m)を越えて遡上するが、F野々尻から7.9km上流にあるH上福定のえん堤(高さ9.1mと2m)までである。H上福定のえん堤を越えられないものと考えられる。

 ヨシノボリ属5種の遡上におけるえん堤の影響を述べる。カワヨシノボリは産卵した川の周辺で一生を送るハゼである。カワヨシノボリは周年富田川の下流から上流にかけてどこにでも幼魚、若魚、成魚が見られる。富田川本流の5箇所のえん堤に影響されることなく、生息している。

 ゴクラクハゼは遡上性の弱いハゼである。ゴクラクハゼの生息は@河口からA十九渕まである。A十九渕下手のえん堤の川下にはかなり多数生息しているが、A十九渕下手のえん堤の川上や上手のえん堤の川上では極端に少なくなる。この原因はゴクラクハゼの吸盤の吸着力が弱くA十九渕の下手、上手の低いえん堤さえも越えて遡上できないものと考える。

 次に遡上性の高いシマヨシノボリ、オオヨシノボリ、ルリヨシノボリの3種について述べる。シマヨシノボリはB生馬橋からE栗栖川までの平瀬のいたるところに見かけられる。シマヨシノボリは富田川の下流から中流に多く生息する。また、玉田・山本(1987)、玉田(1993)の富田川でのシマヨシノボリの分布と同じである。これらの事からシマヨシノボリはA十九渕の下手、上手のえん堤を越えて遡上し、本来の自然分布になっているものと考えられる。オオヨシノボリとルリヨシノボリの成魚の分布からえん堤の影響を考える。オオヨシノボリはG福定橋から川上のI兵生えん堤までの上流域10kmに生息する。

この生息状況は自然分布に近いものと考える。玉田・山本(1987)のえん堤のない支流の古座川でのオオヨシノボリの分布からみて上記のことが裏付けられる。またルリヨシノボリはDわらびお橋付近からI兵生えん堤の川下まで生息する。ルリヨシノボリは中流上部から最上流域にかけて生息する。この点も自然分布に近いものと考えられる。この事は玉田・山本(1988)と日置川や古座川でのルリヨシノボリの分布や玉田(1988)の熊野川でのルリヨシノボリの分布から裏付けられる。

しかし、H上福定えん堤からI兵生えん堤川下までの生息密度が大変低い。オオヨシノボリとルリヨシノボリの生息密度の低い理由はH上福定の高さ9.1mのえん堤の壁を直接登ることができなかったり、110mの魚道を登ったりする数がごく僅かに限られるためであろう。オオヨシノボリとルリヨシノボリのえん堤から受ける影響はこのH上福定えん堤とI兵生えん堤である。I兵生えん堤には魚道がないため、H上福定えん堤より低いえん堤(5.8mと3.3m)であるが、このえん堤から上へは登ってはいけない状態にある。

 ヒナハゼは富田川の@河口の汽水域に多く、A十九渕えん堤の川下までの淡水域に生息している。全長2.8cmのヒナハゼが1993年4月3日に@河口の汽水域で20数個体見られ、6月21日に同じ汽水域で3個体(全長3.0cm)、6月29日に1個体見る。ヒナハゼは主として@河口の汽水域に生息している。4月3日の全長2.8cmのヒナハゼは1992年の夏場に産まれ、底生生活しているものと考えられる。

 ヌマチチブは富田川の下流であるB生馬橋から中流上部になるF野々尻までの約20kmに渡って生息している。1993年5月25日にB生馬橋川下の渕で全長13cmのヌマチチブの成魚を3個体見る。8月17日にE栗栖川の渕で全長9.4cmの若魚を捕獲する。8月24日にDわらびお橋川上の渕(水深3m)で見る。10月2日にF野々尻で全長10.7cmを見る。チチブは1993年1月16日に@河口で全長3.6cmの若魚、10月21日に@河口で全長6.5cmの成魚を捕獲する。「ヌマチチブとチチブは3〜8月頃産卵し、ふ化した仔魚は直ちに降海し、体長約8〜10mmになると川へのぼり始める。池や沼で一生を過ごすものもある」(川那部・水野1990)。ヌマチチブとチチブについてまとめる。ヌマチチブは富田川の下流から中流域の全般にわたっての渕に生息している。

この点からみればヌマチチブはA十九渕にある2つのえん堤に妨げられることはなく、自然分布の状態に近いものと考えられる。

 チチブは富田川の@河口からA十九渕までの汽水域に生息している。

 スミウキゴリは富田川の@河口から中流域のF野々尻まで生息している。1993年4月3日に@河口の汽水域で浮遊生活している全長4cmの幼魚を多数捕獲する。これらの幼魚を成魚の特徴が現れる若魚になるまで、約5ヵ月間飼育する。6月24日にA十九渕えん堤下で全長5cmのスミウキゴリ若魚を見る。8月17日にE栗栖川の平瀬の砂地で底生生活している全長5.2cmの若魚を見る。10月5日にF野々尻えん堤川下で全長7.4cmの成魚を見る。「スミウキゴリは両側回遊性であり、主に河川の汽水域から下流域に生息する。静岡県西伊豆地方の立保川では上流域に近いところまで遡上している。」(川那部、水野1990)。

 スミウキゴリについてまとめる。スミウキゴリは@河口から30km川上のF野々尻まで生息している。この成魚、若魚の生息から考えれば、スミウキゴリはA十九渕にある2つのえん堤を越えて自然分布に近い状態にあるものと考えられる。

 ウナギについて述べる。ウナギは富田川の河口から最上流にかけて生息している。ウナギの成魚は1992年の10月4日にC市ノ瀬橋近くの岩田で全長65.6cmの個体がみられる。ウナギの幼魚は1993年の2月27日に全長5cmの幼魚を1個体、次の日に体表に色素がでていない全長6.1cmのシラスウナギが@河口の汽水域でみられ、1993年4月3日に河口から1km川上の汽水域で体表が色素でおおわれている全長5.5cmの幼魚がみられる。6月5日のA十九渕で全長15.4cmの若魚がみられる。8月8日にF福定で全長約15cmの若魚を見る。9月4日にE栗栖川で全長約20cmの若魚を捕獲し、2日間飼育した後、川へ放流する。1990年3月20日にI兵生で全長約40cmのウナギを捕獲する(水野泰邦)。

 富田川でのウナギの遡上についてまとめる。

 1993年1月から4月にかけて3回、汽水域で全長5から6cmの幼魚が見られる。また、1993年1月3日に、@河口で、柳原徳夫(漁業)さんが金網製のタモ網でウナギのシラスウナギや幼魚を多数採集している。これらのことからウナギの幼魚の遡上時期は1月から4月である。ウナギの遡上におけるえん堤の影響はA十九渕、G福定と栗栖川で全長15から20cmの若魚が日中観察できたり、3年前の8月にI兵生で成魚に近い個体が獲れているところからみれば、ウナギはA十九渕とH上福定のえん堤に妨げられることなく下流から最上流域まで分布している。

 富田川本流でのオオウナギの学術上の記録は少ない。近年では1986年9月4日に十九渕で全長72.8cm(現京都大学荒賀忠一氏確認)、2002年9月16日に市ノ瀬で全長55.0cm(筆者確認)、2009年1月29日に白浜町平で全長9cm(和歌山県自然博物館確認)の合計3回の生息確認がされている。現在もオオウナギの幼魚、若魚が下流から中流にかけて生息している。

 カマキリ(アユカケ)について触れておく。カマキリは両側回遊魚であり、川の中流に生息する。1997年9月15日に市ノ瀬で全長13cmの若魚1個体が獲れる。近年では1回だけの記録である。最大全長30cmになる。富田川の生物密度が低いこととえん堤が原因であるためか絶滅に近い状態である。