古座街道

司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズの「熊野・古座街道」で知られる古座街道は、江戸期から明治中期までは田辺から古座間を最短距離で結ぶ街道で、行商人の往来や西国巡礼などに活用された重要な道でした。

明治中期、和歌山県は中辺路を「熊野上道」、大辺道を「熊野下道」、そして古座街道を「熊野中道」と呼ぶこととし、熊野中道=古座街道を熊野街道本線として整備していくことに決まりました。しかし、明治22年に紀伊半島を襲った大水害や、明治37年の日露戦争の勃発などで道路改修が大幅に遅れたこともあり、難路が多い古座街道に代わって大辺路が熊野街道本線として整備されることとなり、一方、古座街道は周参見から古座間に短縮され、現在に至っています。

近年になって、熊野中道と呼ばれたころの古座街道の道筋の調査研究が行われ、かつての古座街道をウォークルートとして蘇らせようとの気運が生まれました。そして、有志の手で道普請が行われ、上富田町朝来から串本町古座間約80キロメートルにわたる熊野中道=古座街道が通行可能になりました。

町内には神社、仏閣、石仏などの文化財も多く、朝来駅からスタートし、町内を経て、富田川を横切り、生馬川に沿った里山風景を眺めながら鳥渕神社にいたる、変化に富んだ街道歩きが楽しめます。

 

朝来駅から鳥渕神社

周辺に多くの史跡が点在する街中ルートを歩きます

JR朝来駅をスタート、富田川の支流生馬川沿いに伸びるルートです。山越えの多い古座街道にあって比較的高低差が少なく、由緒ある社寺に参拝しながら古道ウォークが楽しめます。まず、朝来駅周辺の檪原神社、圓鏡寺、諏訪神社をめぐり、国道311号線沿いの彦五郎公園があります。富田川に架かる生馬橋を渡り、生馬川沿いをサツキの名所観音寺などの古社寺や史跡をめぐり、終点の鳥渕神社をめざします。なお、彦五郎人柱之碑から次の生馬大師堂までが、このルートでもっとも高低差がある区間です。

圓鏡寺

16世紀に創建され、18世紀初めに現在地に遷された臨済宗妙心寺派の寺です。みごとな鐘桜門をくぐった境内には、役所の検見の方法に抗議して死刑に処せられた、義民三兵衛の墓があります。

観音寺(さつき寺)

16世紀後半に再興されたとされる浄土宗の寺院です。5月下旬から6月初旬には、141段の参道石段両側や境内一面に樹齢百数十年といわれるサツキの花が咲き誇り、さつき寺の別名で呼ばれています。

檪原神社

旧諏訪神社、梅田神社、厳島神社、岩崎神社の4社を合祀した神社で、氏子は13区域にまたがっています。例祭は毎年11月23日に行われ、獅子舞の奉納やユニークな檪原神社楽団の演奏も行われます。

彦五郎人柱之碑

ジオサイトにも認定された彦五郎堤防の由来を刻んだ石碑が立っています。長さ1キロメートルに及ぶ堤防周辺は彦五郎公園として整備され、春には桜、夏には富田川友遊フェスティバルの舞台になります。

地主神社

朱色の鳥居が参道に続く稲荷神を祀る神社で、毎年1月5日に行われる、豊作祈願の粥占いが有名です。巨釜で炊かれた粥に真竹の空筒を入れて、竹筒に入った粥の量で農作物の作柄を占います。

鳥渕神社

生馬川の鳥渕橋手前にある神社で、今回のルートのゴールです。古座街道はここから、街道最大の難所といわれる宇津木坂峠越えへと続きます。

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更新日:2020年03月17日