王子跡とその周辺 

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八上王子跡
 八上王子 西行物語絵巻 (大原家蔵)
八上王子 西行物語絵巻 (大原家蔵)

 岡中島の県道山際にあります。この王子は、鎌倉時代初期の建仁元年(1201)後鳥羽院の熊野御幸に供奉した藤原定家の著わした『熊野御幸記』に、「ヤカミ王子」とあります。『中右記』天仁2年(1109)10月22日条にみえる新王子社はこの八上王子と推定されますから、そのころに設けられたのでしょう。

 ここには、歌僧で有名な西行の歌があります。西行は平安時代末期の歌人で、佐藤左兵衛尉義清(のりきよ)と名乗り、武芸・和歌・蹴鞠にもすぐれた鳥羽上皇の北面の青年武士でした。23歳のとき出家、和歌のほまれは当代すでに高名を博し、久安5年(1149)ごろ高野山に草庵を結び、また諸国を行脚し、熊野へは数回訪れたようです。西行が熊野詣の途上ここの桜を見て詠んだ歌が、家集『山家集』にあります。 熊野へまゐりけるに、八上の王子の花おもしろかりければ、やしろに書きつけける

まちきつる やがみのさくらさきにけり 

                あらくおろすな 三栖の山かぜ

八上王子跡


八上王子跡

 

 このほか、西行の生涯を、和歌を入れた叙情的な物語とし、絵巻物とした『西行物語絵巻』に、この八上王子のすがたが描かれています。この絵巻は鎌倉時代中期の作で、これには熊野へ赴く途中八上王子の前で和歌を詠み、垣に歌を書きつけようとする墨染衣の西行の姿がみえ、緑の木々と白い山桜、王子の祠と玉垣や鳥居が鮮やかな紅に彩られています。熊野御幸のはなやかな時代の王子を描いたものは他にありません。したがって、この絵は当時の王子の面影をしのぶことのできる唯一のものとなるでしょう。また祠の開かれた扉の前にみえる2個の丸石は、御神体であろうと考えられます。

 ところで、江戸時代は岡村の産土神として村人の崇敬をあつめます。聖護院門跡の熊野詣には、下三栖村高坊の道端へ「八上王子是ヨリ十八町在辰己岡村ニ御座候」と記した札を立てることになっており、門跡はそこから八上王子に向かって誦経されることがならわしでした。これは熊野詣の道が潮見峠越えにかわり、八上王子へ通る御幸道が古道となっているためです。このほか、八上王子の桜は西行の歌によって一躍有名になったようで、江戸時代の享保年間(1716〜35)には毎年江戸城の将軍徳川吉宗への献上品とされていました。

 現在は八上神社として奉祀され、広々とした境域には樹木がこんもりと繁り、往時の面影をしのばせています。なお、大正5年に建立した西行の歌碑は、近年風化が進み碑面の傷みが激しいので、昭和62年、新たに建てかえました。

 

  ○指定種別    国指定文化財 史跡

  ○所在地      上富田町岡1363

  ○指定年月日  平成27年10月7日

  ○社叢は町指定文化財・天然記念物