●中世末上富田の城館跡 |
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蛇喰城跡は、町内の南端部、富田川に合流する生馬川南に連続す山岳の中で、ひときわ美しい円丘の山容をしている 蛇喰城の築城は16世紀初頭、境目警護のため、山本氏によったと伝えられるが、戦国時代は境目の城と共に、高所にあるために伝之の城(烽火や法螺貝などで情報伝達を目的とした城)であった。 城跡の規模は「本城 長四十五間程(東西約81メートル)横弐拾間程(南北約36メートル)」で、現在も土塁と石垣の一部がみられる。 当城の城主についての伝承に、諸説があり「山本式部」とする記録に『寛文7年(1667)田辺古城跡并名所古跡』や『寛延3年(1675)三栖新屋文書』があり、「山本兵部」とする記録に『文化5年(1808)風土記新撰ニ附御尋之品書上帳』や『紀伊続風土記』天保10年(1839)がある。「山本権之丞」とする記録に『興禅寺古文書』などになっているが、時代によって異なるが戦国時代は「山本権之丞」であったのであろう。 |