●上富田の石塔 (その1) |
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板 碑 | ||||||||||||||||||||||||
板碑とは 板碑には年代差や地方差がいちじるしく、構造形式がきわめて複雑であるため、細分類がなされている。 |
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今日以上のように(A)(B)の2種類と、細かく5つに分類されている。 町内の板碑については『上富田文化財第10集』谷本圭司氏によって「上富田町の板碑」として報告されているが、町内の板碑はごく少なく在銘のたるものはただ普大寺墓地板碑一基である。 |
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B 清水観音堂境内板碑は、小形双子型の板碑 (A)砂岩製、完存、高さ68.5センチ、幅17センチ、厚さ約3.5センチ、頂部は三角形につくられているが、二条線と額部を一緒に表現したようなつくりで、終焉期の粧をみせている。身部上半に蓮座上に月輪を刻し、その月輪内に大日如来の種子「バン」を刻すほか銘文はない。 (B)砂岩製、現存の高さ(頂部三角部を欠く)55センチ、幅17センチ、厚さ約3.5センチ、蓮座上の月輪内に大日如来の種子「バン」を刻し、ほかの銘文はない。前者の板碑同形で双子型のものである。内容的分類から両者とも大日如来一尊種子板碑である。もとの位置は、清水谷奥の観音山々腹、観音堂跡であるといわれる。 C 興禅寺境内板碑 市ノ瀬
興禅寺境内板碑は二基の小形板碑上部残欠。 (A)砂岩製。現存の高さ(下半部折損)36センチ、幅18.5センチ、厚さ約15センチ、頂部三角形で、二条線と額部を一緒にしたつくりで、終焉期の粧をみせる。額部の下に弥陀の種子「キリーク」を刻しているほか銘文はない。 (B)砂岩製。現存の高さ(下半部欠損)34.5センチ、幅17センチ、厚さ約8センチ、前者と同様のつくりで二条線と額部を一緒にしたつくり、額部の下に月輪内に弥陀種子の「キリーク」を表刻、銘文はない。両者とも内容的分類として弥陀一尊種子板碑である。原位置はこの付近であろうという。 D 稗田薬師堂境内板碑 生馬 稗田薬師堂境内板碑は、境内東端石祠内にある小形板碑。砂岩製。高さ37センチ、幅19センチ、厚さ約6センチ、頂部三角形であるが上部二条線をめぐらすだけのつくり(額部はない)上半に弥陀の種子「キリーク」を刻し、他に銘文はない。内容的分類からは弥陀一尊種子板碑であるが終焉期のもの、原位置は赤土谷の平であるという。 E根皆田銭岩地蔵板碑は、地蔵祠内にある二基の小形板碑。双子型。 (A)砂岩製。完存、高さ57センチ、幅19センチ、厚さ約6.5センチ、頂部三角形で、身部上部に二条線をめぐらし額部をつくり出す。上半部の月輪内に虚空蔵の種子「タラーク」を刻し、他に銘文はない。 (B)砂岩製、高さ(中程で折れ接続するが根部折損)49センチ、幅17センチ、厚さ約5.5センチ、前者(A)と同様のつくりで二条線をめぐらし額部を彫出す。また、月輪内に虚空蔵の種子「タラーク」を刻し、他に銘文はない。両基とも虚空蔵一尊種子板碑で、この原位置は裏山であるという。 F祇園山共同墓地板碑 上田熊 祇園山共同墓地板碑は、五輪塔や一石五輪塔と並ぶ。砂岩製、完存、高さ48センチ、幅26センチ、厚さ約9センチ、長橢円形の自然石の表面に、薄肉彫りの五輪塔を刻む、紀南地方に多くみられる五輪塔図案化−空・風輪を大きく表し、火輪の隅飾突起的に表す−終焉期の表現と異なり、均衡がとられた五輪塔で、各輪に上から「キャ・カ・ラ・バ・ア」と梵字を明確に刻む、他に銘文はない、五輪卒塔婆板碑の代表的なものである。 |