●上富田町域内の涅槃図 |
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町域内六福の涅槃図 | ||||||
観音寺本は、縦170センチ、横135センチで、その概要は、釈迦の寝台を取り囲んで、東西南北の四方に二本一組の沙羅樹8本を配し、釈迦は皆金色(肉身も衣も金色)の右手枕し、両膝を曲げて横たわり、寝台は向って左側面を見せるように描かれる。釈迦の枕もとには菩薩、寝台の後側から釈迦の足もとには、寝台近くに仏弟子、その外側に天部、寝台の前には、仏弟子と俗人と仁王二体が配置されているほか、釈迦の足に手を触れる毘舎離城の老女、寝台前では悶絶して倒れる美男の阿難尊者、供物を捧げん順陀(純陀)が描かれる。画面右上隅には、忉利天(須弥山の頂上)に住んでいた摩耶夫人(浄飯王の后で釈迦の母)が、釈迦の死を聞いて、翳(後ろからかざす団扇)を持つ二侍女を従え、阿那律に先導されて急ぎ飛来する一行を描く。また画面中央の月は、2月15日の満月であり枕もとの1本の沙羅樹には、釈迦の錫杖(僧や修験者(山伏)が待ち歩く杖で、杖の頭に鐶が掛けあり、突くと鳴る)と鉢を包んだ赤色の包みをさげ、沙羅双樹の背景に、湧雲と熙連河が描かれている。下辺に描かれた動物画は、昆虫類11点、獣類23点、鳥類28点の52点が描かれている。また裏書には、「為如幻即空信士菩提 施主生馬谷廉場吉郎兵衛奇進 時元文三午年二月十五日 大貴山観音教寺第五世一誉上人」と明記されている。 三宝寺A本は、縦124センチ、横57センチの縦長画面の作品で、図上段にゾウの顔を左右隅に配し、その間に、東天竺 倶尸那国拘尸那城 跋提河辺 姿羅双樹と記し、釈迦(皆金色)の位置を中心に、前景を広くとった構図で、貴重な作品である。下辺の動物画は、昆虫類8点、獣類23点、鳥類22点の53点が描かれる。なお右上隅の摩耶夫人の侍女は3人である。 三宝寺B本は、縦106センチ、横80センチで、釈迦は肉身を金色にし、赤衣をまとい、枕をしての右手枕。摩耶夫人の侍女は一人で、同雲上に先導者の阿那律が描かれる。沙羅双樹の背景も。湧雲だけで熙連河は描かれていない。下辺の動物画も、昆虫類5点、獣類9点、鳥類13点の27点で少ない。左下隅に「顔輝図 孝資謹縮写」の墨書があり、顔輝の図を孝資が縮写されたことがわかる。 |
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普大寺本は、縦182センチ、横131センチ、釈迦(皆金色)は枕をし、右手枕でなく右手を前に出す形式の涅槃図であるが、摩耶夫人の飛来を右上隅に描かれる作品。下辺の動物画には、昆虫類9点、獣類16点、鳥類24点の計49点が描かれる。裏書には「諸霊為菩提 寄附主 梅巌性秀信士、心月孤圓信女 兼七 月空妙円信女 元蔵 徳蔵 法水自洗信士 熊蔵 是巌自性信士 熊平 又平 磯八 吉次郎 栄次郎 惣太郎 惣作 熊次良 与三次良 源平 七蔵 毎年2月15日此法為料具ニ膳スエテ誦経致事 天保十三年寅極月再興 現住體道代」と明書される。 興禅寺本は、縦212センチ、横153センチ、釈迦は肉身を金色にし、赤衣をまとい、枕をしているが右手枕で横たわり、両膝をまげて両足を重ね、会衆中の仏弟子は宋元画の羅漢像に準じて描かれ、悲嘆慟哭のさまが激しく、大げさまな表情、身振りをあらわす。摩耶夫人の一行が左上方から飛来するのが変っている。動物は種類こそ多いが和様でその種類と数は、昆虫類9点、獣類29点、鳥類25点の計63点である。裏書には、寛文十二壬 子二月十五日に 当山二世(後三世)桃源長茂住職のとき寄進助縁者110余名を記し、さらに、九世友山住職の天保十二辛丑二月に改装改修にあたって助縁者15名を記し、昭和62年2月にも14世啓堂令潤住職は再改修にあたり助縁者を記している。 |
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成道寺本は、縦166センチ、横113センチで、釈迦(皆金色)は右手枕、動物画は昆虫9点、動物16点、鳥類27点の52点である。摩耶夫人一行は、右上部で夫人は三侍女を従えている。 | ||||||
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観音寺本 | ||||||
三宝寺A本 | ||||||
三宝寺B本 | ||||||
普大寺本 | ||||||
興禅寺本 | ||||||
成道寺本 |