●南方熊楠と上富田町 

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町内の植物

  八上神社の貴重な植物 

 小生知るところ、八上の神林の植物を古く気づきしは栗山昇平氏にて、当時その草木の名を知んにも手がかりなく、幾年かたつうち田中芳男だん当地へ来り中屋敷町の五明楼に宿りしことあり。(明治二十六、七年より前のこと)。昇平氏推参すいさんしてことごとく標品を示し一々名を書きつけたるなり。一昨年頃広島県で死なれ、今はその人の名さえ記憶する人なきも、その功は没すべきに非ず。またそれより前に県庁の学務課長たりし美山巌氏あり。一昨年大阪で死せし栗山寛一氏の実兄なり。また県庁の勧業課長たりし南部町生れ牛尾興業氏あり。これらの人々も岩田や岡の植物を少数ながらら調べて書き上げられしなり。鳥山ひらく先生に至っては、田辺生れだけに幼少より三栖、岩田から栗栖川、近野辺を毎度跋渉ばっしょうし、写生図も多く、標本も多く、ことに田中男と永年親交ありしゆえ、いろいろと知りあからめられたり。その前には小原(桃洞)、畔田くろだ(翠山)諸先生自らこの辺に来り、書き残されたものいろいろあり。小生も写して持ちおり。これらの先生が紀州に出て、紀州の物を書上げられしは、紀州人の幸いなり。

     (樫山嘉一宛、昭和九年三月二十六日付)

 ヤツシロランの絶滅は小生常に憂うるところにこれあり。おいおい交通が便利となるに随い、ますますこの憂いが大きくなりもうすべく候。これを防ぐの法は、貴下や樫山氏などがあまりこんなものがこの村の何大字何字の何の地にあるといいちらさぬことにござ候。かようのものを見出したら、岩田村で見出したら、岩田村で見出せりというだけにてよろしく、その上のことはかならずいわぬことに候。それをヤツシロランは岡の八上王子にありとか、また、何れのところにありとかいうは、盗人を募集するようなものにて、そんなことでは決して保存は出来るものにこれなく候。

     (平田寿男宛、昭和五年五月七日)

ヤツシロラン

ヤツシロラン