●藩政時代の水害と治水  −富田川の災害と治水(その1)− 

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 「富田川」について

岩田川(富田川)上流 滝尻王子付近

岩田川(富田川)上流 滝尻王子付近

  大和国十津川郷と境を接する果無山脈の安堵山(1184m)に源を発する富田川は、中川、鍛冶屋川、石船川、岡川、生馬川など多くの支流を集めて南西方向に流れ、富田の中村で紀伊水道に注いでいる。「河川箇所表」によると、延長33.6km、流域面積240平方kmといわれる。鮎川付近から上流は渓谷であるが、それより下流は沖積平野で、牟婁地方最大の水田地帯をつくっている。

 富田川は、記録の上では、弘仁一二年(八二一)夏、天台宗の高僧智証大師が熊野を訪れたとき、「石田川」(現富田川)を通過したと記されているのがもっとも古い。

 また、「中右記」の天仁二年(一一〇九)十月二十三日に、熊野参詣に向う藤原宗忠も「石田川」を渡っているし、有名な「熊野御幸記」においても、後鳥羽上皇の熊野参詣に随行した藤原定家が、「石田河」を渡ったのは建仁元年(一二〇一)十月十三日である。また、「平家物語」や「源平盛衰記」などにも岩田川がみえている。熊野参詣途上の中世の歌人たちによっても、「石田河」「いはた河」「岩田川」が和歌の中に詠まれているこの川が、熊野参詣の垢離場でもあった。岩田荘内を通過する熊野参詣者たちが、河水で身を清め、渡河するこの大川を、「いわたがわ」と称していた。

 慶長九年(一六〇四)七月、徳川幕府は紀伊国主浅野幸長に江戸城修築に必要な石材の運搬用にする石船三八五艘を造るように命じたが、幸長は、これを牟婁郡の村々へ割りあてている。そのうち「富田川筋」から二〇艘の石船を供出させているが、この場合、石船を建造したのは河口付近の村々であって、中上流部の村々までその負担は及んでいなかったと思われる。

 河口付近のようすについては、正保年間(一六四四〜四八)の「紀伊大和河内伊賀山城伊勢六ヶ国絵図」に、「富田川口浅、舟出入不自由」とあり、元禄年間(一六八八〜一七〇四)の「紀南郷導記」の高瀬村の頃に、「在所ノハズレニ富田川有、幅一町、瀬多クシテ洪水ニハ越エニクシ」と記されており、河口付近の村々ではいっぱんに「富田川」と呼ばれていた。

かつての櫟原庄付近を流れる富田川風景 (右側竜松山)

かつての櫟原庄付近を流れる富田川風景 (右側竜松山)

 近世後期(文化〜天保頃)に編纂された『紀伊続風土記』は、上流部では、栗栖川、中流部では岩田川、下流部では富田川と称したと記されており、近代以前は統一した川の呼称はなかったようである。

 嘉永元年(一八四八)の大洪水を記した、田辺組の「御用留」は、「富田川八百年以来覚エナキ大水也、朝来、富田両組所々切レ大破損」とある。富田組は当然のことながら、朝来組においても富田川と呼んでいたと思われる。

 近世には富田川の河川の管理は、田辺安藤氏にまかされていたが、明治七年以後国庫の定額金にあらためられ、さらに再三にわたる改編をしながら、明治二十二年以降は地方税支弁となっている。『和歌山県誌』は、富田川について、「(西牟婁)同郡栗栖川村大字真砂字カト谷より同郡富田村大字富田字川口海口まで」として、本流全長を県費支弁の対象にしていないが、支流の岡川、内ノ井川を含んで指定していると述べている。

 富田川の呼称が、この大川の呼称として定着していくのは、明治後期以降ではないかと推測される。

 川沿いには、上流から二川、栗栖川(現中辺路町)、中流には鮎川(現大塔村)、市ノ瀬、岩田、朝来、生馬(現上富田町)、下流には北富田、南富田、東富田(現白浜町)などの各村が存在している。

 富田川は、これらの村々の農業の発展はもちろん、舟運による物資の運輸、人々の交流などをとおして、流域一帯の経済圏や文化圏を形成して、そこに住む人々の生活に大きな恵みをもたらしてきた。

 しかし富田川は、また一変して怒涛を起こし、濁流が氾濫して未曽有の大洪水によって人家に多大の被害を及ぼすこともあった。そのため流域の人々は、堤防の整備や川ざらえなど常日ごろから防備を怠らなかった。そして、災害の状況を記録に残したり、水害の記念碑や水難者の供養碑を建てたり、追弔の法要を営んだり、ありとあらゆる方法で後世の人々に対して教訓とすべきことがらを伝えていこうとしてきた。

 小論は、『上富田町史』通史編を執筆するなかで、知り得た富田川の災害の状況と治水の方法について概説風に整理をした。内容は(1)藩政時代の水害と治水、(2)明治二十二年の水害と戦後の治水対策について記述している。

 「災害は忘れたころにやってくる」とは、よく聞く諺であるが、本稿をまとめてみて、そんな呑気なものではなく、忘れていないうちにも襲ってくるから、日ごろからその防備に手抜きを許されないきびしいものであることを知らされた。

岡川上流 (八幡神社前)

岡川上流 (八幡神社前)

生馬川上流 (鳥淵付近)

生馬川上流 (鳥淵付近)