●上富田町の地名 −無形文化財としての地名− |
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公称地名と私称地名と「小字」 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
地名は管理上公称地名と私称地名に分けられる。法務局や市町村役場の登録されている地名が公称地名で、土地の売買や管理問題で使われる地名も公称地名である。この公称地名はまた行政地名とも言われている。公称地名で最も小さいのは、「小字」地名である。 「小字」とは、一筆耕地がある程度集合した区画をいい、ヨーロッパの耕区に相当するが、正確には集落+耕地の小セットで、ムラの中のムラである「小名」もある。 「小字」は平安時代以降の文書にも見えるが、一般に普及するのが太閤検地からであるといわれ、検地帳には一筆ごとに字名が書かれていることも少なくない。この「小字」が大きくクローズアップされたのは、明治時代になってからである。税制が大きく変えられ、税法の基本が収穫高による物納から土地の生産力や面積に応じた算出法による金納に変わったため、官民・民民の土地所有を明確にする必要が出来、地租改正と地籍図の作成が全国規模で行われ、その成果を小字別に土地台帳に整理された。そこで、それまで私称地名であった多くの小地名が小字となり公称地名となった。小字地名のないところでは新たに創られて支障のないようにしたのである。 現在上富田町域にはいくつの小字が存在するのだろうか。旧村別に整理してみよう。 |
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このように生馬が圧倒的に多い。それは生馬川流域に小字が多いからである。 ところでこの数は、江戸時代から変わっていないのだろうか。 この地の江戸時代の小字数を示したものはまだ筆者の目にとまっていないので一つ一つ史料にあたるしかない。『地方凡例録』に、「字之事 是は田畑其外山林野地等にても、地所の小名を字(あざな)と云。口にて言ふときは名所(などころ)とも小名(こな)とも下げ名ともいへども、帳面証文等に認るにハ字と書くことなり」とあり、検地絵図には田畑に字何反と書くように指示しているので、字という言葉は田辺付近でも使われた可能性もあるが、その例を筆者はまだ知らない。調査された一覧にはまだお目にかかっていない。 『紀伊続風土記』の編纂の下資料に提出された文化五年(1808)の『風土記新撰ニ附御尋之品書上帳』には、枝郷と小名が書かれており、唯一まとまった史料である。それを集計すると、以下のようになる。 |
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これと現在の小字を比較すると、岩田を除く他は軒並み小字数を増やしている。岩田の減少の理由はまだわからないが、他の地域は耕地化されていない山野に江戸時代には「字」がつけられていなかったことから推測される。たとえば生馬の場合、十六も字数の増加があったが、明治十年代初頭に作成された『皇国地誌』(「西牟婁郡役所 村誌」)の生馬の字・小字を拾い出すと二十三になっている。その中には字王子や、鹿ヶ谷、黄金倉、風穴、十林、釜ヶ谷、小房のように山林のみで構成されたところには「小字」名が書かれていない。つまり、民家や耕地のない地域には字名はつけられていなかったのである。利用価値の非常に低いところ、生産性の極端に低いところは課税対象にはならなかったこともあって「字名」を、必要としなかったのだろう。同じことが市ノ瀬でも言える。字銭岩や清水、池谷等に字名の記載がなかった。 藤井寿一氏紹介の『皇国地誌』にはなぜか岩田村の記載がないので、江戸時代と現在をつなぐ資料が得られなくて残念である。 次に小名や小字が江戸時代からどのように移り変わっているか、字名一覧に整理してみよう。(下図参照) 以上を見ると、小名=小字とはいかないにしても、字名の変化は思った以上に大きいことがわかる。その理由は、 |
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@ 社会構造の変化によって土地利用のあり方が変わってきた。そのため今まで経済価値が無く放置に近いようなところも、経済性が高まってくると、土地所有の明確さ、境界の正確さを必要とされるようになり、字を中心に管理が徹底されるようになった。たとえば、生馬の小房や風穴等の山腹斜面の小字。 A 村落の合併が見られたように、あまりにも小規模なところは統廃合して、より管理の目の届きやすいものにしたので、旧来の字名を使うより新規に地名を創出したのではないかと思われる。例としてふさわしいかどうか自身はないが、岩田の大山前や上岩田を挙げることが出来る。 B 大規模な新田開発や宅地開発によって、広域の字名では対応できなくなってきた。たとえば、朝来の大沼や丹田台、岩崎の後ロ山がそれにあたる。 このように、地名は不変ではなく、生き物のように生まれたり無くなったりしていることがよく理解できるのである。そこで我々は、産まれるものは良しとしても、できるだけ地名を消さないようにしなければならない。地名を消さないことはただ感傷に耽るということではなく、先人からのメッセージを大切に守りたいということからである。 上富田町の小字名は、地形に関するもの四十五、文化地名二十八、動植物に関わる地名十二となって、小字地名の五十三パーセントが自然に関わる地名である。とくに谷地名が多いのは、上富田町には富田川に流入する支流が汗川、岡川、馬川、生馬川等があり、小さな渓谷を刻み、また、それぞれの支流にも小さな連続した窪地(谷)があるからであろう。また、田地名が十九と多いのは、この地は自他共に認める穀倉地帯であることをPRする証ではないかと考える。 |
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変化する小字名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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