●上富田町の年中行事  

      トップ> 上富田町文化財教室シリーズ


 田まつり
田まつり 
 田まつり

 旧六月の始めの子(ね)の日に、田祭りといって、小麦粉で作った餅を栗の葉に包んで、その枝を田毎に立てた。その餅をサナ餅とかシャナ餅とか言った。稲が順調に育つようにと田の神に捧げるものであったのだろう。子供たちは、七軒のサナ餅をたばったらよいなどと言われ、取りにまわったものである。

 これが上富田町各地での一般的な田祭りであったが、付近の土地では、子の日でなく丑(うし)の日に行うところが比較的多く、冨里などでは、麦の粉の練ったものをやはり栗の小枝にアセで包んで田畑に立て、これを地まつりと言っていた。また、麦の粉の代わりに米の粉で作った団子にしたり、栗の葉の代わりに柳にとりつけるところもあった。

 古い郷土誌記載の例を挙げてみると、『南富田村郷土誌』では、六月丑の日の前日が田祭りで、小麦団子を枝垂しだれ柳につけて、これを田の水口に立てたとしているし、『周参見村郷土誌』では、丑の日に牛を川や海で洗い、農家はみな小麦餅を柳の枝につけて、田んぼの畦に立てた。これは除虫のまじないだったという。

 田祭りに関して、丑の日に牛を川などへ連れて行って、洗ったのは、どこでもおこなったことであり、とくに岡地区では、この日が田中神社の祭りで、牛を着飾って社前へ引いて行く風習があった。
 なお、正月十一日に水口祀ったりするのも、田祭り、または地まつりと言った。それは、苗代田となる田の水口でまつるもので、おん松とめん松の小枝にツツジの小枝とススキの茎を添え、御幣をつけて立てた。これに餅、みかん、串柿、田つくりなどの正月のものを供えるのであった。稲の豊作を願ってのことである。これを鍬初くわぞめという所があるのは、田畑の作物がよくみのるようにと鍬で打つ所作をしたのであろうが、岡地区でテンテコと言うのは意味がわかりにくい。テンテコ舞いをするほど忙しいということからきているのであろうか。あるいは、テンテコはもともとは里神楽を舞う時の太鼓の音のことであるから、古くは何かそのようなことをしたのかもしれない。